(架空)駆志鉄道
Kushi Railway
駆志鉄道は、全てが架空の鉄道で、波本-北ノ唯間76.0kmと西野市-岩外原間12.3kmの計88.3kmから成る路線です。
途中、波本-駆志市間12.0kmは、電化されています。残りは非電化路線です。
名前は、迷った末、適当な字を組み合わせて作っていった結果、「駆ける志」という意味で、駆志鉄道と名づけました。
----------沿革。もちろん架空です。---------
開業年は、1913年(大正2年)創立で、2006年で創立93周年を迎えます。
1913年5月、波本-烏原間を結ぶ駆志鉄道が開業。当時から旅客輸送を始める。
また、1921年(大正10年)、北ノ唯鉱山-西野市間の北ノ唯鉱山貨物鉄道が開業。名前の通り、鉱山から鉱石を運ぶ貨物線だった。
両鉄道会社は、旅客、貨物事業で栄え、ついに1934年、(昭和9年)埼里ヶ丘(現在の親水公園駅付近)で繋がる。
貨物事業と旅客事業の両方で相互直通乗り入れを開始。これにより、鉱工業は西野市だけでなく、駆志市、波元(現:波本)へと発展、
逆に住民も、両都市から、埼里(現:親水公園、咲里)、西野市、北ノ唯方面へと移住を始める。
同年、岩外原線を敷設、岩外原までの旅客輸送が始まる。
こうして両鉄道会社は、段々と資本を増やして行く。やがて、1947年(昭和22年)、蒸気機関車をやめ、ディーゼルへと転換。
旅客線は気動車で、貨物線はディーゼル機関車による牽引がスタート。
1950年代から貨物事業は、北ノ唯方面での、農作物の都市部への輸送も始める。
ところが突然、1957年(昭和32年)、北ノ唯鉱山貨物鉄道が廃業となる。
1957年、北ノ唯鉱山でのガスによる大爆発で、死者42名、負傷者153名の大事故が発生。
鉱山は崩落により、そのまま閉山、北ノ唯鉱山貨物鉄道は主軸を失い、一気に廃業まで追いやられる。
廃線になったが、線路はそのまま駆志鉄道が引き取り、旅客事業と、農作物の貨物輸送で進められる。
そのまま時は経ち、1965年(昭和40年)、波本-駆志市間12.0kmの複線化工事が完了。
そして、1970年(昭和45年)、同区間の直流1500V電化が完成。
牧田まで電化を目指すが、地磁気観測所があり、交流電化をするほどの資金が無く、あえなく断念。
また、1991(平成3年)には、波本-駆志市間の一部高架と3線化工事が完了。現在に至る。
路線図
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灰色の文字の駅は、無人駅です。黒字は有人駅、太字の駅は、折り返し設備があります。
コンテンツ
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路線データー (32KB)
※車両は、列車番号が「M」の物については、113系を、305Dは指定しておりません。ご了承ください。
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