沖縄の730車の「青春」
沖縄の730車とは、昭和53年7月30日の沖縄県の道路交通変更に伴う交通方式の「構造改革(今でいうとこうなる)」によって生まれてきた路線バスである。
沖縄の路線バス4社に対し新車大量投入は国庫の約60%の補助あって導入したことや、新車引渡しまでの間宜野湾のキャンプ・ブーン跡地(多分、コンベンションセンターあたりだと思われるが、詳細をご存知の方は御教示願いたい)などに一旦保管された後沖縄の路線バス4社の営業所に配置され交通近代化の旗印になったのはいうまでもありませんが、車両の老朽化に伴い新型車両の投入や折りしも本土ではノンステップ車両投入や首都圏の排気ガス規制の関係に伴う余剰車の玉突きとして投入された中古車の台頭により、最近はその場すら失いつつあるのが現状である
小生の高校時代は沖縄本島中部の某高校から自宅まで約40分くらいの通勤通学時間ではあるが、その殆どが730車との「おつきあい」だった。
琉球バス

これが琉球バスの730車。見るかぎりでは車体が傷んでおり、老体に鞭打って頑張っている。
琉球バスの車両は大半が日産ディーゼル+富士重工(HOT7000などを生み出した車両メーカー)の車両で、ページ管理者が学生の頃よく利用したものである。当時の運賃表はLED搭載が23/112系統で、当時はこれらの他に海洋博記念公園行きの急行バス(93系統)が存在し、こちらも運賃表がLED搭載だった。なお、余談であるが後者の車両は側面方向幕の部分を専用のサボが入るようにその金属フレームが装備されていた。学校の休みと週末のみの臨時運転であったがそれ以外のときは27/63系統に使われる事が多く、当時学生だったページ管理者は63系統利用者で93系統急行バスの車両があたると非常に嬉しく感じたのである。
なお、93系統記念公園行急行バスはその後船舶に置き換えられる形で廃止されるが、その「船舶」も利用者が少なく赤字経営を理由に廃止されているのは皮肉な事である。
「美ら海水族館」の開業などで生まれ変わってきている記念公園も、那覇からの直通便がないのは非常に悲しい。それゆえに復活して欲しい路線である。
運賃表が巻き取り式の車両はその当時のページ管理者からすれば「ダサいなあ」と不満だったが、今ではその事に非常に後悔している。
LEDにはない、アナログの「美」
今思えば、内装を写しておくべきだったと後悔したが、内装の写真が見つかったので掲載しておく。
730車にも塗装変更を受けた車両もある。
中古車と同じ塗装は、僕が知っている範囲では数台しかない。しかし、それ以前に塗装変更車は存在したのである。
タバコのCM塗装の車が2台、確かキャメルかラークだった気がするが、このことも覚えているが写真を写すのを忘れた。車体更新を受けて新車もどきに変装する「バケルトン」なるものも存在した。いわば、詐欺新車といえよう。
説明するなら、モノコック車を骸骨風に見せるという改造方法で生まれた究極のシロモノである。この「へんてこ」は改造当初は塗装を広告に仕立てたカラーリングになったことがある。管理者の記憶によると確かポケベルのCM塗装の車だったと思うが、その後あちこちたらい回しの挙句塗装変更を受けるものの、その努力空しく平成15年下半期には琉球バス所属のバケルトンは引退している。
730登場当初はトイレつきの路線バスも存在し比較的長距離を走る那覇〜名護路線に投入された記憶があるが、トイレ利用は思わしくないのかあまりにも衛生上良くないという理由(管理者がが琉球バス職員から実際に聞いた話は後者)でトイレは撤去され客室改造を受け、通常の車と変わり映えのない外観に改修させられた。JR西日本の113系の一部も同じことが言える。
実は管理者の記憶によるとまだ幼い管理者もこのトイレ付のバスに乗った記憶があるが、何せかなり前の記憶、詳細については殆ど忘れている為詳しくかけない。その後塗装変更と方向幕の大型化改造工事を受けるものの、老朽化が災いし結局は全車退役となった。
個人の意見だが、琉球バスから730車が完全引退するのなら、是非さよなら運転をして有終の美を飾ってほしいものだ。その時にはお別れ乗車して写真を気が済むまで撮影し、画像で永久保存したいものだ。
歴史の生き証人なのだから、スクラップではなく、完全保存でありますように。
なお、メモリアル乗車についてはこちらを御覧下さい。
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ちなみに、サイドビューなどはこんな感じです。
なお、琉球バスでも730車の置き換えが進んでおり、名護配備の車両及び糸満配属車両の大半が鬼籍入りとなり、5月3日の時点では1326Fのみ予備車扱い(実質保留車)として糸満に残り現在糸満バスターミナルで留置中である。こちらは状態そのものが余り芳しくなく、余命幾許無いとさえ云われている。
最終的には糸満在籍の1326Fが最終配置になるものと思われる。
沖縄バス
沖縄バスの車両はオール三菱の車両で統一されており、730に投入された車両が三菱MP117と呼ばれる車両である。
誕生当初のカラーリングは沖縄バスの観光用大型車両と同じカラーであるが、730以降に投入されたMP117の後続車両であるMP118(方向幕大型車両と小型車両があるが現在は前者が残っていると考えた方がいい)を加えるもののその後(昭和61年ごろと思われるが)沖縄バスのCI戦略(というよりは企業方針と思われるが)の為に白ベースで青と水色帯のカラーに塗り替えられた。
新車生え抜き車のほか本土からの中古車投入により730車の引退が進み、今では那覇に1台が残るのみであるが特別整備を施しており末永い活躍が期待できるように、気合を入れた整備体制に感心させられる。沖縄バスに残る730車は那覇〜南部路線の予備車をメインに活躍しており、中北部の運用には滅多に入らない。
管理者の思い出はやはり、27番の運用ですかね。時たま利用していたのですから。
東陽バス
同社の車両は日野RE101と呼ばれる車両で、登場当初は方向幕が小型でその後の工事により方向幕が大型化された車両が続出している。しかし、車両のやりくりなどの関係で全車がその対象になっていない。最近は生え抜きの他本土からの中古車の置き換えによりRE101の玉突き転出が活発化し、検査切れの車両の玉突きとして「ところてん置き換え」をしている。RE101はローカルを例にみると本島南部の馬天(ばてん)ローカル(#58・91・191))の他沖縄市泡瀬ローカル(#60・96)ではRE101がメインとして活躍している。しかし、平成16年上半期の改正により後者の運用及び58番運用(平成17年4月から)は平日のみに縮小されている。
なお、那覇直通路線に関しては主に37番の運用として活躍しているが、運賃表がLEDタイプの関係で那覇直通運用とローカル運用(運賃表が行灯式)とはっきり袂を分かち合っている。今後の予想としては馬天・泡瀬ローカルの中古車投入はまだ先になるものと思われ730車の最終配置が泡瀬と馬天になると思われる。
60/96番は沖縄市の泡瀬を中心に活躍しており、運用は平日のみとされているがRE101の乗り心地を味わう数少ない路線である。60番は美津呂(びじゅる)前から北中城高校・ゴヤ十字路・コザ十字路・高原を経て美津呂前に戻る変則ルート、96番は美津呂前から泡瀬3区を通過しアパート前が終点のある意味最短距離のバスである。
なお、96番については平日であっても学校の春・夏・冬休みには一切設定されないので注意が必要です。
730車で最終的にまとまった数で残るのは同社の車両ではないかと思われる。
なお、管理者の思い出は、勤め人になってから60番の運用です。
58番の馬天琉大泡瀬線は平成17年4月4日からそれまでの新垣線の一部運用を変更した上で運転を開始していますが、730車と中古車(ワンステップバス)が交互に使われていたが、馬天受け持ちの車両は運用開始一ヶ月経たないうちにブルーリボンに置き換えられている。
907Fが58番の運用についていたが、5月頃からは730車置換えの生え抜きに差し替えられ907Fは蚊帳の外に追いやられている感じがする。おそらく車両の状態からして廃車が心配されている。それゆえに運用を復活してもらいたいものだ。
那覇バス(投入当初は那覇交通)
同社の車両はいすゞBU04という車両で、那覇市内線と郊外線の2種類が存在したが、車体色が銀色に青帯という那覇交通のCI方針だったのかもしれない。
前者は那覇市内の路線だけの限定運用的で、車両後部に方向幕、車両前部と後部にドアがあるのが特徴であるが、市内線の一部車両が前面ドア後部と降車用ドア前部に方向幕がご丁寧に用意されていた。
なお、那覇交通の車両に琉球バスから丸長車体経由で会社間転配をした日野RE101が数台郊外線に配備されたが、こちらはつきに見放されたのか早いうちに後継車両に置き換えられ姿を消している。
なお、市内外線車両共々平成元年から後継車両の登場により数を減らし、一部車両は那覇交通のCI戦略により白をベースとした爽やかなカラーに塗り替えられたが、結局全車までには及ばなかったが塗り替えだけでBU04のイメージが変わるものだ。
後者はトップドア仕様で車両後部の窓が広いのが郊外線の証だ。一部車両は高速バスの車両としてリクライニングシートに差し替えられ銀色と青い細帯に塗りたくられ、”シルバーアロー”という愛称で親しまれてきたが、こちらは後継車両の置き換えにより郊外線に転属されたが、従来車共々後継車両の置き換えが進み平成16年7月半ばには那覇バスに社名変更してから市内外線のBU04の置き換えが急ピッチに進み、平成17年1月下旬、モーニング娘。の2代目リーダー飯田圭織卒業の数日前に那覇バスのBU04が長き歴史に幕を下ろし、三重城営業所で深い眠りについた。
ま、管理者の学生時代の思い出はやはり26番(当時は琉球バスではなく那覇交通が那覇〜石川運用で受け持っていた)のシルバーアローくらいですもん。本数が極端に少なく乗るのにも至難の業としか云わざるを得ません。(当時は本数が極端すぎるほど少なく、下校時間とかち合わない時間にやってきましたね)ですから、学生時代のBU04はあまり縁がないみたいです・・・。
余談ではあるが観光バス(730車)については4社とも全廃されているのであえて紹介しません。
参考文献・のりもの倶楽部No14
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