
古墳時代の最後に登場した埋葬施設です。横穴式石室では羨道の奥に「部屋」があるのに対し横口式石槨では、にお棺を納める「石槨」が取り付けてあります。おそらく前者が多葬を目的としたのに対し、後者は基本的に特定個人の単葬を目的とした物であったのでしょう。
この横口式石槨は7世紀後期、横穴式石室の小型化に合わせる様に出現し、主に近畿の支配者層の古墳に採用された埋葬施設です。その構造は、石棺様施設の短辺側の一方に横口を設け、さらにその前に羨道などを取り付けたものになっています。九州や山陰地方の石棺式石室と共通の要素を持ちますが、石棺様の施設の中にさらに木棺や乾漆棺を納めるもので、内部には棺を納めるとほとんど余分な空間がなくなるものが多いところから、石棺式石室とは明らかに系譜を異なる物として区別されています。
横口式石槨には幾つかの類型がみられますが、横口式石槨の前に前室とさらにその前に羨道をもつものをA類(大阪府南河内郡
横口式石槨は、畿内地方を中心とした分布を示していますが、岡山県や広島県の瀬戸内海沿岸地方や、鳥取県や島根県の山陰地方、そして大分県でも稀な存在として散見されます。その内広島県東部の備後地方では、
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長砂2号墳
ながさこ: 墳形は不明です。埋葬施設は横口式石槨墳で、身の部分は刳抜で、一方の小口が開かれて横口となり、一枚の蓋石をのせています。小口にはもとは板状の板石を横蓋としてはめ込む構造であったと見られます。槨の内法は長さ2.2m、幅0.85m、高さ0.57mの長方形で、蓋石の上面の形は、封土におおわれて不明です。横口部の前面には羨道部が取り付けられますが、石槨より少し幅広く、一般の横穴式石室と類似した構造で、先端部は喪失しているため全長は明らかではありまあせん。石槨の石材は竜山石凝灰岩で、畿内政権との関連性をうかがうことができます。岡山県下で唯一の古墳時代終末期の横口式石槨墳です。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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尾市古墳
おいち:広島県芦品郡新市町大字常字芦羅 一辺約12mの八角形墳です。埋葬施設は花崗岩切石で構築された横口式石槨で、羨道の奥に方向をかえて三基の石槨が設置された、極めて特異な構造をしています。石槨は花崗岩切石の1枚石が巧みに組み合わされて構築されており、石槨と羨道の境には扉石設置のためと見られる加工が施されれています。壁面全体には漆喰が塗られていたとみられ現在でも随所で観察でき、その一部には同心円状の叩き目も認められます。石室全面には敷石が敷かれています。石槨の規模は、羨道+中央石槨で長さ6.68m、東石槨+西石槨は長さ4.6mで、中央の石槨は長さ1.68m,
幅1.16, 高さ1.15mの規模です。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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猪の子1号墳
いのこ1ごう:広島県福山市加茂町下加茂 一辺14m程度の方墳ともいわれていますが正確には不明です。埋葬施設は花崗岩切石の横口式石槨で、全長6.7-6.7m・槨長2.82m・幅1.09m・高さ0.89-0.95mの規模。石室は自然石で構築された羨道の奥に横口式石槨が敷設された構造をしています。石槨は花崗岩の切石を組み合わせて構築されており、各辺一枚ずつの石を組み、その接合には鈎状の加工が施され、天井面はゆるやかに弯曲し、天井石と各側壁との間には漆喰も見られます。羨道部は長さ3.84m・幅1.46-1.70m・高さ1.25mで、側壁、天井石とも各二枚の花崗岩を使用しており、切石は奥壁側のみで、入口側は割石が使用されています。この横口式石槨の形状は、備中の長砂古墳(岡山県総社市)の石槨に酷似しているといわれています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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曽根田白塚古墳
そねだしろつか:広島県福山市芦田町下有地久田谷 芦田川下流の南岸丘陵上に独立して立地する、直径12m前後のややいびつな円墳と見られています。埋葬施設は花崗岩切石の横口式石槨で全長6.7m・石槨部は長さ2.19m・幅1.32m・
高さ1.22m、羨道部は長さ3.75m・幅1.81mの規模。広い羨道部の奥に主体部を持つ構造で、奥壁、天井石は一枚石、横口式石槨には底石がありません。また石槨は左右対象を強く意識した造りになっており、側壁は左右とも二枚ずつの石が配されているようにするため、右側壁の一枚岩に亀裂をいれて二枚であるかのように模しています。石組みは接合部が鈎状の加工をして丁寧に組まれています。羨道部は左右両壁とも二枚の石が使用されている白塚の名が示すように石室全面に漆喰が塗布されていたようで、現在でもその一部が残存しています。築造年代は7世紀末期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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廻塚古墳
まわりつか:島根県 |
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赤井穴ヶ迫古墳
あかいあながさこ:島根県大田市 |
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切石古墳
きりいし:島根県簸川郡佐田町 |
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山ヶ鼻古墳
やまがはな:鳥取県岩美郡岩美町大谷字沓掛 墳形は不明。埋葬施設は南南東に開口する刳抜式石棺式石室で、玄室は奥行2m・奥壁幅1.1m・高さ0.8m、羨道部は長さ2m・幅1.44m・高さ1.57m。玄室の構造は、巨石をノミで刳抜いて三方の壁面と天井部を造り、床面となる別の平らに加工された平石にかぶせて構築している。玄室入口には床の石を幅12.5cm、深さ3cm、高さ80cmにわたって加工しており、蓋石の存在が想定される。羨道東側壁と玄門部、および玄室天井部と羨道天井部の接合部分は、切り込みをつくって組み合わせるようにしている。築造年代は7世紀後期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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古宮古墳
ふるみや:大分県大分市 |
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手光波切不動堂古墳
てびかなみきりふどうどう:福岡県宗像郡福間町大字手光字石橋1615 宮地嶽南麓の標高25m前後の丘陵に立地している。同丘陵北方には手光古墳群北支群がある。石室内の測量調査が行われているだけで、墳丘の形態や現模については不明。埋葬施設は大形の切石を便用した複室の横口式石槨である。全長10.8mの規模で、長さ1.8m前室と長さ2.1mの玄室との間には、高さ0.5m仕切りの板石が置かれている。築造時期は7世紀中期。 (続日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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牽牛子塚古墳
けんごしづか:奈良県高市郡明日香村 奈良県明日香村越の真弓丘にある飛鳥時代の古墳。丘陵を版築で整形し、その上に築いた墳丘は、竜山石の切石の外護列石で装飾する。列石の遣存状況から版築積の八角形墳らしい。南に開口する横長の石室(石槨)は、二上山から運んだ凝灰岩巨石を剤り貫く。中央に厚さ0.5mの仕切り壁を設け、東西に同形同大の石室を削り出す。石室は、天井四隅を丸く鬼雪隠・俎古墳形をし、ともに長さ2.1m、幅1.2m、高さ1.3mあり、床に長さ1.9m、幅0.8m、高さ0.1mの棺台を、それぞれ東壁と西壁によせる。扉は、二重構造で凝灰岩製内扉の四方に装飾金其をつける穴がある。外扉は、竜山石製。遣物は、二棺分夾紵棺の破片と、金銅製八花形座金具、金銅製六花座金具、金銅製稜角金具、ガラス玉のほか、七宝亀甲形飾金具がある。出土した40歳前後の女性歯牙から、斉明天皇と合葬された間人皇女(孝徳天皇の皇后)とする説がある。築造年代は7世紀中期から後期。 (日本古代史大辞典:大和書房) |
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寺崎白壁塚古墳
てらさきしらかべづか:奈良県高市郡高取町大字寺崎 高取町北西部、貝吹山(標高210m)のある東西に延びる丘陵から南に派生する尾根上に立地する山寄せの古墳で、背面から側面に幅6〜7m、深さ2mのコ字形の掘割に囲まれた30m規模の方形(台形)段上に盛土された一辺15m・高さ9mの二段築成の方墳と見られています。埋葬施設は墳丘の南面から真北に向かって花崗岩の切石を組み合わせた、内法の長さ2.24m・幅1.1m・高さ0.9mの石槨に、長さ8.8m・幅1.6〜1.9m・高さ1.6mの羨道が付く横口式石槨です。石槨は両側壁、奥壁と天井が一石、床面は二石で構築され、石材の間には漆喰が充填されています。側石の小口正面には扉石を設置するための切り込みや溝がありますが、扉石は不明です。石槨床面は羨道床面より40cm高い位地にあり、羨道内に床面の高さと合わせた石を補っています。羨道の平面プランは細長い長方形で羨門に向かって若干広がっています。壁面は石材が一から三段に積まれ石材の間には漆喰が補充されています。床面から粉々に割られた榛原石の板石が多く出土していることから床面に敷かれていたものと考えられています。羨道の中央は花崗岩の割石を立て並べて仕切り石とし、また羨門の正面は貼り石状になっています。古墳の立地状況は風水思想を反映していると言われています。築造年代は7世紀中期。 (寺崎白壁塚古墳現地説明会資料) |
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花山西塚古墳
はなやまにしづか:奈良県桜井市 7世紀後半に築造された磚槨墳で、未発掘のため墳形や規模は不明です。榛原石の薄い板石をレンガ状に加工し、磚積み方法で構築された横口式磚槨で、石材の間には漆喰がつめられています。石室の構造は、奥に磚槨の墓室を作り中央に天井の高い前室を設け、羨道を前面に持つ形式で、墓室の大きさは全長190cm・幅70cm・高さ90cm、天井には花崗岩の平石が四枚使われています。また奥壁は切石加工の板石が一枚、床には四枚の平石が床石として敷かれていて、側壁にはレンガ状の板石が十枚程度積まれています。墓室と前室との間には扉石と見られる板石が前室側に倒れています。また前室は長さ218cm・幅130cm・高さ167cmで両側壁とも二十枚前後の板石が積み上げられており、玄門部は両袖式となっており、天井石には花崗岩を二枚載せています。羨道は長さ3.7m・幅1.1mで前室と同じように板石を積み上げていますが高さは不明です。 (桜井の横穴式石室:桜井市教育委員会) |
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舞谷2号墳
まいたに2ごう:奈良県桜井市 |
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鳥谷口古墳
とりたにぐち:奈良県北葛城郡當麻町染野字鳥谷口 二上山雄岳から東へ延びる一尾根の端の南斜面に立地する、一辺7.2m・高さ約2.1mの方墳です。後背部には掘割がめぐり、墳丘には貼石が二段に貼られています。埋葬施設は横口式石槨で、東西に長く組まれ、南側に小さな開口部を持ちます。石槨は竜山石凝灰岩製で、内法158cm、幅60〜66cm・高さ71cm、すでに組合式家形石棺として加工されたものを転用されています。入口付近の構造は不明で、羨道状の付帯施設の存在か、もしくは単に閉塞石で入口を閉じていたと言われていますが定かではありません。築造年代は7世紀後期から末期。被葬者に大津皇子を当てる説があります。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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平野塚穴山古墳
ひらのつかあなやま:奈良県香芝市 北方の丘陵から南に小さく突起した小尾根を利用して築かれた、一辺18m・高さ4mの方墳と推定されています。埋葬施設は凝灰岩の切石を組み合わせて構築された横口式石槨で、平面形は玄室と羨道に分かれています。石槨の構造は玄室の奥壁が一、左右壁各二、天井石二、羨道は左右壁各一、天井石一で構築されており、玄門部には仕切石(敷居)をはめ込み、マグサは羨道天井石を一段低く造り出しています。床面にも伍の目に敷石が施されており、羨道部にも大型の敷石が設けられています。各石材の組合せは木造建築と同様に「相欠き」、「継手」、「落し込み」などの技法が多用されており、また石材の合わせ目には漆喰が詰められています。石槨の各寸法から類推すると唐尺の使用が想定され、石槨の全長は15尺、玄室は長さ10尺・幅5尺・高さ6尺、玄門長2尺・4尺の相当し、1尺=29.3〜29.7cm前後の単位で企画されていると思われています。また玄室長と羨道長は2:1、玄室長と幅は2:1と、企画性が窺うことができます。築造年代は7世紀後期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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平尾山南峰古墳
ひらおやまなんりょう:大阪府柏原市 封土を失い石室のみが露呈し墳丘の形状・規模は不明。埋葬施設は横口式石槨で、石槨部は奥・天井が一枚石、左右側壁は二枚石で構築され、長さ1.92m・幅0.76m・高さ1.0mの規模。羨道部は側壁が二石、天井が一石からなり、長さ3.65m・幅1. 62m・高さ1.7mを測る。 (群集墳と横口式石槨・古代学研究132号) |
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オウコ8号墳
おうこ8ごう:大阪府 直径17mの円墳。埋葬施設は全長約7mの横口式石槨で、石槨部分は奥・底共各一石、側壁・天井各二石、計八石の切石を組み合わせ、長さ1.9m・幅0.76m・高さ0.6mを測る。切石で構築された羨道部、前室を有し、天井の接合部には漆喰が使用されている。 (群集墳と横口式石槨・古代学研究132号) |
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観音塚古墳
かんのんづか:大阪府南河内郡太子町 鉢伏山から派生する尾根に築かれた直径12m、高さ3mの円墳です。埋葬施設は前室と羨道を有す切石造りの全長7mの横口式石槨で南に開口しています。前室の奥に横口式石棺を取り付けた珍しい形式です。石槨内法は長さ1.93m・幅0.92m・高さ0.78mで床面の4周には溝が巡ります。前室は長さ2.45m・幅1.44m・高さ1.66mで両壁とも切石で垂直に築かれており、天井部の前面には切石が斜めに渡してあります。また前室入口には切り込みがあり扉の存在が予想されています。石材の隙間には漆喰が塗られています。羨道部は長さ2.28m、幅1.44mで、西側壁の方が少し長く、幅はほぼ前室と同じ大きさです。古墳の被葬者として飛鳥戸造一族の中で7世紀前半に死去した族長と考えられています。築造年代は7世紀前期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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鉢伏山西峯古墳
はちぶせやまにしみね:大阪府羽曳野市 鉢伏山西側尾根の先端に立地する一辺12mの方墳です。墳丘周囲には方形の周溝がま巡ります。埋葬施設は羨道、前室を持つ横口式石槨で石槨部分以外の天井石は失っています。石槨は長さ2.7m・幅0.8m・高さ0.7mを測り、天井と石槨部分は一つの石を刳抜いて構築され、内部には漆喰の痕跡も残存しています。 |
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平尾山西峰古墳
ひらおやまにしりょう:大阪府柏原市 正式には平尾山第5支群12号墳と呼ばれます。南西へ延びる尾根の稜線からやや下がった南向きの斜面に位置しています。石槨は身の部分と、天井石の部分が各一石から造られた刳抜式横口式石槨墳です。石槨部は長さ1.81m・幅0.
85m・高さ0.44mで、扉石を填める切り込みが見られます。切石の巨石を用いた羨道部を持つと思われますが、現在は崩落しその規模は不明です。築造年代は7世紀中期頃と考えられています。 第5支群は20基の古墳によって構成されていますが、12号墳以外では左片袖型横穴式石室を持つ7号墳と、無袖型横穴式石室を持つ二基の古墳以外は良く判っていません。 大阪柏原市の平尾山の中腹にあります。高安古墳群の石室測量の帰りに連れていって頂いたものですが、もう一度一人で行って来いと言われてもまずたどり着けない所にあります。周囲はほとんど葡萄畑、平尾山西峰古墳も葡萄のビニールハウスの中にありました。3月、暦の上では春と言っても外は冬のような寒さ、でもハウスの中は汗ばむくらいに暖かかったことを思い出します。今まで見学した石の宝殿古墳や観音塚古墳などの石槨に比べると平たくて非常に小さい感じを受けました。石材はおそらく花崗岩だと思いますが、精緻な加工にビックリ。改めて古代の技術水準の高さを実感できた古墳です。 (群集墳と横口式石槨・古代学研究132号) |
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ボウジ1号墳
ぼうじ:奈良県北葛城郡三郷町 |
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アカハゲ古墳
あかはげ:大阪府南河内郡河南町平石 平石古墳群の中の一基です。尾根の南斜面に立地する、直径20m・高さ4mほどの円墳と考えられています。埋葬施設の横口式石槨で、羨道・全室・奥室の三室からなる、花崗岩の切石で構築された全長9.66mの規模です。奥室内法は長さ2.3m・幅1.5m・高さ1.14mで、扉石は失われているますが、西側壁、天井石、床石には扉石のための切込みがみられます。前室の内法は長さ3.36m・幅1.84m・高さ1.5mで、床面には板状に加工した榛原石が敷かれています。羨道部は長さ約4m・幅1.8m・高さ約1.5m。納められていた棺は漆塗籠棺といわれています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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ツカマリ古墳
つかまり:大阪府南河内郡 平石古墳群の中の一つ。尾根先端の南向き斜面に立地しています、墳形、規模は不明。埋葬施設は奥室と羨道からなる石棺式石室で、全長7.5m、奥室は長さ2.3m・幅・高さ1.31m。奥室羨、道とも壁石の目地に漆喰が詰められています。石室内からは金象嵌鉄刀、七宝銀製飾金具、螺旋状金線、金糸、ガラス製扁平管玉、同丸玉、夾紵棺容器、などの副葬品や緑釉陶棺断片、漆塗籠棺の破片が多量に出土した。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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御嶺山古墳
ごりょうざん:大阪府 |
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小口山古墳
こぐちやま: |
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石宝殿古墳
いしのほうでん:大阪府寝屋川市 |
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若狭野古墳
わかさの:兵庫県 |
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谷地久保古墳 やちくぼ: 標高355m程の南側に面した丘陵斜面に立地する。古墳周囲の地形の改変もあり、墳丘の範囲は明瞭ではないが、東西約10m・南北約12m、斜面下方からの見かけの高さ約3mを測る。埋葬施設は南東方向に開口する横口式石槨で、現況での石槨の規模は、高さ120cm・幅138cm・奥行142cmを測るが,開口部には崩落した側壁の一部と考えられる切石が存在していることから,本来はもう少し奥行があるものと想定される。石槨は安山岩質凝灰岩の切石を使用しており、奥壁・側壁・天井石・床石の5枚が残存している。こうした切石積みの石槨は,東北地方では数少なく、むしろ近畿地方に類例が求められるものである。出土遣物はないが、他の類例などから7世紀後期の年代が考えられる。石槨の権造から火葬骨も埋葬を推定されている。 (続日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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古墳の解説は順次更新します。