「石室」豆知識

日本の古墳の埋葬施設には、大別すると竪穴系と横穴系と二系統の埋葬施設があります。竪穴系のものは、墳丘上に掘られた竪穴土壙内に埋葬を行うもので、竪穴式石室(槨)、粘土槨、棺を直葬したものなどがあり、古墳時代全般を通じて営まれました。横穴系のものは、横に入り口をもつ埋葬施設で、古墳時代中期に新しく朝鮮半島などから導入され成立しました。横穴式石室、横口式石槨、横穴、地下式横穴などがあり、古墳時代の後半期に営まれました。ここではこれらの埋葬施設の中で代表的な竪穴式石室(槨)と、横穴式石室について簡単に解説いたします。

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目 次

1.       竪穴式石室

2.       横穴式石室

3.       横穴式石室の基本構造

4.       横穴式石室の形式分類―九州と近畿の横穴式石室を中心に

 

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竪穴式石室()

石室の内、木棺または石棺を被覆するために、四壁を偏平な割石を用いて、小口積みに積み上げ、最後に蓋石を載せて密封するものをいいます。通常竪穴式石室と呼ばれていますが、構造からすれば竪穴式石槨と呼ぶべきものですが、ここでは一般的に通用している竪穴式石室と表記します。古墳出現期の定型化された前方後円(方)墳に採用されました。それらの竪穴式石室は共通の構築法に基づいて造られていますが、その形態は画一的なものではないようです。前期の竪穴式石室は、割竹形木棺の大きさに対応して長大なものが多く、石室内には朱が塗られています。前期の後半では、割竹形木棺に代わって各種の石棺が出現し、石室の長さは短くなりますが、副葬品収納用の空間を棺の両端や蓋上につくった複雑な構造のものが出現します。竪穴式石室は棺を土壙内に納めた後、棺を被覆する施設として構築されたもので、古墳出現期から中期後半まで、主に大型の古墳で採用されました。しかし中期には、先に石室を構築してから埋葬を行う、異なる系統の竪穴式石室が出現しています。これらは割石積みで構築されていますが、長さが短く、やや幅広の平面形の石室で、中期後半から後期にかけて、北部九州地方や中国地方、和歌山県の紀ノ川流域などで見られます。これらの石室は、旧来の竪穴式石室からの変化というより、朝鮮半島南部の洛東江下流域、伽耶地域に顕著にみられる竪穴式石室からの影響を考えるべきものと思われています。竪穴式石室

 

高松市茶臼山古墳・竪穴式石室 (香川県高松市)

愛宕山古墳・竪穴式石室(徳島県鳴門市)

 

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横穴式石室

横穴系の埋葬施設とは、埋葬施設の一方の側面が横口によって外部と通じているものの総称です。その出入口・開口部は普通、塊石や板石などで閉じられていますが、埋葬施設を土中に埋めてしまう竪穴系と違い、開けることが容易にできますので追葬が可能となり、そして現在でも内部の見学が自由にできるわけです。石棺が安置されている主室の部分は玄室と呼ばれ、これと外部を結ぶ通路を羨道、そして玄室と羨道との接続部は袖部と呼ばれています。また玄室と羨道の境は玄門と呼ばれ、羨道の入り口は羨門と呼ばれています。袖部の構造は大きく分けて3種類の形式があります。羨道部から見て玄室の袖部が左右に広がっているものが「両袖型」、右か左どちらか一方へ広がっているものが「片袖型」、羨道と玄室の幅が同じで連続しているものが「無袖型」と呼ばれています。

両袖型の例

片袖型の例

無袖型の例

水泥塚穴古墳:奈良県御所市

鳥取高塚古墳:岡山県赤坂町

神宮寺塚古墳:栃木県真岡市

岩畠古墳:山口県防府市

 

柿塚古墳:奈良県平群町

天神塚古墳:長野県飯田市

 

 

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横穴式石室の基本構造

玄室の基本形状は直方体ですので、奥壁、側壁、天井、玄門、そして床から構成されてます。長い年月を経ているため石室内には土砂が流れ込んでいますので、元の姿を見ることのできる物はほとんどありませんが、発掘調査された石室などでは調査後に修理して元の状態に近い物を見学できることもあります。

奥壁は文字通り玄室の一番奥の壁、側壁は石室の両側を構成する壁です。出現初期では薄い板石や河原石を積上げて構築されましたが、時代が下るに従い石材は巨大化しました。特に一枚の巨大な石材を奥壁に用いている場合、その石を特別に鏡石と呼んでいます。更に時代が下ると石材の表面をきれいな平らに加工した石材で造られる様になります、この石材は切石と呼ばれています。壁の最下部に大型の石材を置きその上に小型の石材を積み上げて構築された石室がありますが、この様なの場合最下部に置かれた大型の石材は腰石と呼ばれています。

天井部は、竪穴式石室と同様にやや大型の板石を二〜四枚載せて構築されているのが一般的ですが、こちらも時代が下るに従い石材は大型化し、更に時代が進むと大型の切石なども用いられる様になります。

玄室の入口である玄門部は、石室の造られた時代や地域差によりかなり多様性が認められます。玄室と羨道の接続部は袖部と呼ばれ、基本的には三形式あることは先に説明しましたが、北部九州型横穴式石室では、袖部の両側に立石を立てて玄室と区別するタイプの物が主流で、袖部の立石は袖石と呼ばれています。また玄門部の床面に敷居の様に置かれた石材を梱石(きしみいし:敷居石・閾石(しきみいし)・框石(かまちいし)などとも表記されます)、天井部に鴨居の様に渡された石材を楣石(まぐさいし)と呼びます。

石室の平面型は基本的に長方形、ないしは正方形ですが、中には奥壁に向かって広がっているタイプ、玄室の中央部が膨らんだタイプのものもあり、前者は羽子板形式、後者は胴張り形式と呼ばれています。更に特殊なものとして、縦長の平面プランで、側壁が玄門の袖石へと弧状に窄まり直接取り付くタイプのものがあり、三味線胴形式と呼ばれています。

長方形の場合、四壁の短辺側の一辺に羨道が取り付けられているのが一般的ですが、稀に羨道が長辺側に取り付けられた横長の石室が存在します、この様なタイプの石室はT字形石室と呼ばれています。また玄室の奥壁側の片方の側壁に小さな空間が取り付けられたり、横長の玄室で羨道が長辺側の一方の角に取り付いた石室などもあり、これらはL字形石室と呼ばれています。その他特殊な平面形態の石室として奥壁側に、小型の羨道状の施設が付設された凸型の石室、また奥壁と側壁の接する角が丸くなった隅丸型石室などがあります。

 一方石室の立体型は基本的には直方体で四壁は直立、あるいはやや内向きに立ち上がっています。この内向きが急で側壁が斜めに立ち上がるものが持送り形式と呼ばれ、更に四壁の持送りが急で天井部が著しく狭くなったものをドーム状石室と呼ばれています。また特殊な例として、側面の断面プランが弓の様に弧を描いているものを穹窿型石室と呼んでいます。

床面は土砂や泥が堆積していますので構築当時の状態を保持しているものはほとんどありませんが、拳大の石材を敷き詰めたりしてあります。中には水捌けを良くするための排水溝が設けられていたり、須恵質の土管などが設置されている例もあります。時代が下ると床面にも切石の石材などが採用される様になり、石室自体も小型化し単葬を指向するようになります。

石障後に述べる肥後型石室に多く見られる施設で熊本県下を中心に分布しています。玄室に巡らされた板石で、四周の場合やコの字形の場合などがあります。遺骸安置施設ですが、側面に装飾や線刻が施された物が多く見られます。

石屋形奥壁や側壁に沿って設置された屋根付きの遺骸安置施設です。平入横口式家形石棺を大形化、簡略化したような形態ですが、石屋形の内部には家形石棺などの棺が納められています。熊本県を中心に分布しています。

石棚石室の補強を目的としたタイプと先の石屋形と同じ目的で付設されたタイプの二種類がある様に思えます。前者は和歌山県紀ノ川流域に分布中心を持ち、石室の高さが4mを越すものも見られ、梁の様に石室の上部に渡されています。後者は基本的に西日本全域に分布しており、棚石の下には遺床や棺が置かれたものが多く見られます。また棚の上には土器などの副葬品を安置する例が確認されています。

胴張り形式

善院1号墳(福岡県田主丸町)

三味線胴形式

棚塚古墳(徳島県美馬町)

L字形石室

青ノ山6号墳(香川県丸亀市)

石屋形

鬼のいわや古墳(熊本県植木町)

石棚

久本古墳(熊本県高松市)

 

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横穴式石室の形式分類

1.            横穴式石室の系譜

横穴式石室は、朝鮮半島の高句麗・百済の墓制を起源とする埋葬施設で、日本列島では4世紀末期に北部九州ではじめて出現しました。現在その立体構造と平面構造の違いから大きく二種類四形式に区分され、加えて竪穴系横口式石室の一群が別にあります。

@九州型横穴式石室 

北部九州に分布中心を持つ導入期の横穴式石室としては、北部九州型と有明海沿岸地域に分布中心を持つ肥後型があり、更に両者の折衷形式といえる筑肥型に細分されます。石室北部九州型横穴式石室の最古の例は福岡県福岡市の鋤崎古墳の石室といわれ、扁平な割石の小口積みで構築され、長方形平面の玄室と短壁中央に短い羨道が取り付けられた物で、玄室と羨道床面に段差があります。玄室はあまり高くなく天井石は二〜四枚で水平に架溝されています。割石積みの羨道部はその後省略され、代わって玄室と外部との境の左右に板石を立てる構造に変化しました。

肥後型横穴式石室は肥後中・南部に分布中心があることからこの名称が定着しています。その最古の例は熊本県将軍塚古墳の石室といわれ、長方形平面の玄室中央に短い羨道が取り付けられ、玄室の壁面はドーム状の持ち送り構造で、天井石は一枚ないし二枚で構成されています。5世紀の初期に出現し、6世紀前期までは玄室下部の四壁に沿って板石で構成された石障をめぐらせるのが特徴です。また肥後型石室の一類型には、玄室の前に前室を備えた複室構造のものが含まれ、肥後北部の菊池川流域で始まったことが明らかになりつつあります。現在、5世紀後期の熊本県伝佐山古墳の石室が最古の例とされていますが、玄室と羨道部間に設けられた空間は塚坊主古墳を介して、臼塚古墳、大坊古墳、チブサン古墳などで明確な前室に発展し、複室構造の横穴式石室が完成されます。6世紀前期頃の塚坊主古墳を契機とし、複室構造の横穴式石室は肥後から筑後へと拡大します。それと共に装飾古墳も筑後地方へと伝播、福岡県乗場古墳、王塚古墳そして佐賀県太田古墳など、筑後やその周縁地域から北中部九州全域に拡大しました。

更に北九州型石室と肥後型石室の折衷型である一群は筑肥型石室として分類されています。このタイプでは両形式の特徴の強弱によりA・Bの二種に区分されています。筑肥型A類では長方形平面の玄室で、四壁は持ち送り、天井はあまり高くならず平天井、周壁下部に石障をめぐらせるのが特徴です。筑肥型B類では玄室は正方形基調で側壁上部の持ち送りは弱く、横断面は逆台形で一石の天井石を架構し、石障を採用しないものとされています。A類には岡山県千足古墳、三重県おじょか古墳、B類には大阪府塔塚古墳などの例が知られています。

筑後地方ではさらに胴張り構造の横穴式石室が出現します。これにも単室と複室がありますが、石室をより高く、広い空間を確保するために丸味を持たせたものと考えられています。これら胴張り構造の石室は6世紀中期頃に出現し、7世紀にかけて盛行しますが、筑後川流域のみならず遠く関東の地にも分布していることは注目されます。

A.畿内型横穴式石室

近畿地方では中期中頃、九州系の横口式石室が散発的に認められますが、墓制として定着することはありませんでした。近畿地方の導入期横穴式石室では、片袖型の長方形平面・(持ち送り)平天井構造、片袖型の長方形ないし正方形の平面プラン・穹窿状天井の2種類があり、前者を畿内型A類、後者を同B類として分類されています。その内A類は5世紀後期に大阪府高井田古墳に登場し、後期中頃以降、畿内の前方後円墳や大型円墳・方墳の多くに採用された横穴式石室の原型であるといわれています。一方のB類は初期の一群が奈良県平群谷に、またその後は桜井市や飛鳥に散見されますが、A類に比較して数が少なく近畿地方でも特殊な形式の石室として知られています。B類の最古例は奈良県椿井宮山古墳といわれ、5世紀末期に出現しました。

B.竪穴系横口式石室

在来の堅穴式石室(石槨)や石棺系石室の小口部に横ロを取り付けたもので、石室の平面プランは、竪穴式石室と同様、長さに比して幅が狭いものになっています。玄室部分は羨道部より一段低くなっているのが一般的で、壁面は小型の板石を小口積みにしたものや、腰石の上に小口積みするものがあり、棺は石室主軸に平行して置かれていています。一般的には中小の古墳に採用されますが、初期のものでは比較的大型の古墳の埋葬施設にも採用されました。最古例としては佐賀県谷口古墳の二基の埋葬施設があげられます。この石室では中心部に主軸に平行して古式の長持形石棺が一基ずつ埋納されています。福岡市老司古墳では四基の埋葬施設の内三基が古式の竪穴系横口付石室ですが、中心埋葬施設の三号石室は初期の北部九州型横穴式石室であることが知られています。このタイプの石室は、4世紀末に出現し、少なくとも6世紀前期までは永続して築造されていますが、九州では福岡県西部から佐賀県にかけて限定的に分布するもので、全国的にもその分布は限られたものになっています。

 

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