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烏土塚古墳
うどづか:奈良県生駒郡 平群谷に平行する、南北にのびた丘陵上の先端に築かれた全長60.5m、後円部径35.3m・高さ6m、前方部幅31mの、前方部を北に向けた前方後円墳です。埋葬施設は南に開口する巨石使用の両袖型横穴式石室で、全長14.2m、玄室は長さ6m・幅2.8mm・高さ4.5m、羨道部は長さ約8.2m・幅2.1mの規模を持つ、奈良県下では石舞台古墳に次ぐ規模のものです。玄室から羨道、前庭部にかけて排水溝がめぐらされ、玄室のやや奥に組合式の家形石棺が安置されています。残された破片から推測すると、蓋石には縄掛突起を有すことがわかっています。また棺の長側石(東側)には斜格子の線彫りが施されています。築造年代は6世紀中期。(570〜580年) (日本古墳大辞典:東京堂出版) 近鉄生駒線 |
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椿井宮山古墳
つばいみややま:奈良県生駒郡 平群谷東部の矢田丘陵西斜面中腹、海抜100m付近に位置する、直径17mの円墳です。埋葬施設は南に開口する片袖型横穴式石室で、左側壁部で現状4.83mの全長の規模。玄室は長さ4.21m・幅2.9mとほぼ正方形に近い平面プランで、玄室の高さは土砂が流入しているため明らかではないが、奥壁付近の床面から天井頂部までは3.14mを測ります。玄室の各壁はいずれも割石を小口積みとし、その石積み技法は、奥壁付近の現状床面を基準として、約1mの高さまでほぼ垂直に積み上げ、それ以上は急激に持送り、いわゆる穹窿式天井で、天井石は一石で構築されています。築造年代は5世紀中期〜末期で奈良県では最も古い時期の石室の一つと言われています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) 近鉄生駒線 |
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宮裏山古墳
みやうらやま:奈良県生駒郡 宮山塚古墳から南東へ約100mの丘陵西斜面、海抜115mに位置する、直径約15mの円墳で、現状では埴輪、葺石は認められません。墳丘は西側がやや崩れており、石室天井が一部露出しています。埋葬施設は南西に開口する全長8.8mの両袖型横穴式石室で、玄室は長さ4.02m・幅2.20mで、幅に対する長さの比は1.83で、長方形の平面プランです。高さは現状で3.3m。各壁面は割石を小口積みし、持ち送りは緩やかで、いずれの壁面もほぼ直線的に持ち送り、横断面は台形状をしています。天井石は三石からなり、奥へ向かって次第に高くなり、最奥部の天井石が最も高くなっています。羨道は全長4.6m・幅1.25m、高さは現状で約1m。天井石は現状で四石ですが、本来は五石からなり中央の一石が崩落したものと思われています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) 近鉄生駒線 |
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西宮古墳
にしみや:奈良県生駒郡 丘陵斜面に築かれた一辺36mの三段築成の方墳です。各段とも斜面に扁平な大石を全面に貼り、各段上面の平坦面にも河原石が敷き詰められ、外観は堅固な石塚の様相を呈していたといわれています。背後の丘陵には、南に大きく開く平面台形の掘割りで画され、範囲は少なくとも東西80m,南北60mにも及ぶことが知られています。埋葬施設は南に開口する横穴式石室で全長12.6m、玄室は長さ3.6m・幅、高さ共1.8mで、羨道部は全長9m・幅1.5mの規模です。石室は巨大な花崗岩の切石で架構されていて、玄室の両壁、奥壁、天井石が全て一枚岩、羨道は両壁にそれぞれ5枚の切石を並列させています。また羨道の最前面の天井石は、側壁の先端より3mも奥にあり、外面が約45度の傾斜で加工されていることが特に注目されています。おそらく扉の施設があって、側壁の前部は外部に露出していたと考えられています。また玄室には凝灰岩製の刳抜式家形石棺の棺身が安置されており、その形状は長さ2.24m,幅1.15m、高さ0.76mの箱形をしています。築造年代は7世紀後期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版、平群古墳案内) 近鉄生駒線 |
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柿塚古墳
かきづか:奈良県生駒郡 烏土塚古墳の西方、信貴山から延びる一支脈上に立地する円墳です。埋葬施設は西に開口する片袖型横穴式石室で、全長8.8 m、玄室長5.35 m・幅3.2
m・高さ3.2 m、羨道部幅1.3 mの規模です。石室内部の奥壁寄りには奥壁と平行して組合式石棺が安置されています。玄室の平面幅3.2 mに対して、天井幅は約1 mという急な持ち送り構造にで、天井部には4枚の石材が架橋されているます。この天井石の架橋法は小さな石材を下に、大きな石材を上に積む方法で、勢野茶臼山古墳など、この地域の横穴式石室の構造と類似性を有すといわれています。平面プランは正確な長方形で、玄門部に大きな石材を積み明確な袖をつくり出しています。築造年代は6世紀中期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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三室山古墳群
みむろやま:奈良県北葛城郡 大阪府と奈良県の境に位置する三室山( JR大和路線 |
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四ッ辻古墳
よつつじ:奈良県生駒郡 (平群古墳案内) 徒歩では無理です。四つ辻の集落の手前、道路に面した林の中にあります。 |
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畠田古墳
はたけだ:奈良県北葛城郡 直径15m、高さ4mの円墳です。 |
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平野塚穴古墳
ひらのつかあな:奈良県 直径15m、高さ4mの円墳です。 |
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笹塚古墳
ささづか: 矢田丘陵東麓に立地する直径27mの円墳です。埋葬施設は両袖型横穴式石室で、全長12.5m、玄室は長さ4.5m・幅2.6m・高さ2.5m、羨道は長さ8mの規模です。玄室中央部から二上山白色凝灰岩製家形石棺が破壊された状態で検出され、多量の水銀朱や石帯などが出土しているといわれています。 国立療養所の裏手にあります。内部見学は自由です。 |
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仏塚古墳
ほとけづか:奈良県生駒郡斑鳩町 推定規模は一辺23mの方墳と見られるが、現状は南北16m,東西18mの墳丘が残っています。墳丘周辺の調査では空堀を有すことが確認されていまする。埋葬施設は墳丘のほぼ中央に南に開口する両袖型横穴式石室で全長約9.5m、玄室は長さ3.9m・幅2.2m・高さ2.5m、羨道部は長さ5.6mの規模です。発掘調査では陶棺の破片や、馬具、金環、刀子、また土師器や須恵器など出土してます。陶棺片は、2〜3棺分であることが確認され、大和では希な陶棺を多葬した横穴式石室であることが判明しています。築造年代は6世紀後期から末と考えられ、その被葬者については、聖徳太子の妃である菩岐岐美郎女を出した膳氏の可能性が考えられています。 JR大和路線 |
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二塚古墳
後円部石室
前方部石室 |
ふたつか:奈良県北葛城郡新庄町寺口 葛城連峰の東斜面にある布施谷と大ツボ谷によって挟まれた標高200mの一尾根の末端傾斜地に立地する、全長60m、後円部径36m・高さ10m、前方部幅41m、高さ10mの前方後円墳です。墳丘は葛城山麓を東に急傾斜する尾根の末端部を切断し整形され、墳丘の斜面には貼石が施されています。埋葬施設は後円部と前方部及び西側造出し部にそれぞれ構築された3基の横穴式石室です。後円部の石室は南に開口する両袖型横穴式石室で、全長16.4m、玄室は長さ6.7m・幅3m・高さ4.1mで玄門部から羨道にかけて排水溝が設けられています。凝灰岩製の石棺の破片が検出されています。前方部の石室は南西に開口する片袖型横穴式石室で、全長約9m,玄室は長さ3.9m・幅1.7m・高さ1.9mで床面には河原石を敷き詰め、玄室中央には凝灰岩製の組合式石棺の底石が残っています。西側造出し部の石室は南に開口する無袖型横穴式石室で、全長7.8m、玄室は長さ4.5m・幅1.4m・高さ1.3mの規模。この石室の特徴は羨道の床面が玄室の床面より90cmあまり高くなっていて、しかも天井石を持たない特異な形式です。築造年代は6世紀中期 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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団子山古墳
だんごやま:奈良県北葛城郡新庄町 |
山口千塚古墳群
やまぐちせんづか:奈良県北葛城郡新庄町山口 葛城山東麓の谷間に所在36基からなる群集墳で、全て円墳から構成されています。直径10〜15m前後の墳丘規模を中心として、現状で確認できる埋葬施設は全て横穴式石室です。その横穴式石室には、比較的規模の大きいものや古式の形態を有するものが認められ、古墳群の形成が5世紀末期から開始され6世紀中期から後期にかけてその最盛期をむかえたものと推測されています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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平林古墳
ひらばやし:奈良県北葛城郡當麻町大字兵家字平林 尾根端部の傾斜地に立地する、前方部を西南に向けた前方後円墳です。墳丘は全長55m、後円部径25m・高さ4.9m、前方部幅35m・高さ5.1mの前方部が発達した前方後円墳です。葺石の存在した可能性はあるが埴輪は認められていません。埋葬施設は後円部の南南東に開口する両袖型横穴式石室で全長12m、玄室長5.5m・幅3m・高さ4m、羨道長6.5m・幅・高さ共2mの規模。羨道には組合式家形石棺の底石が存在し、玄室からは木棺の存在を推定させる鉄釘が出土しています。6世紀中期から7世紀代と長期間にわたって石室が使用されていたと考えてられています。 |
牧野古墳
ばくや:奈良県生駒郡広陵町 馬見丘陵の中央部、一尾根の端部を整形して築かれた山寄せの直径60mの円墳で、高さは南側で13m、北側で6m。墳丘は三段築成で、最上段のみが円墳状をなしています。埋葬施設は最上段の墳丘中に設けられた、花崗岩の巨石で構築された巨大な両袖型横穴式石室で、全長17.1m、玄室長6.7m・幅3.3m・高さ4.5m、羨道長10.7m・幅1.8m・高さ2.2mの規模。床には礫敷の下に排水溝が巡って石室外に出ています。羨門には閉塞石が残存しています。玄室内には二基の石棺が確認されており、その内の一基は竜山石凝灰岩製の刳抜式家形石棺で、もう一基は同じ石材の組合式石棺と見られますが、細片となっていて断定はされていません。これらの棺は同時に埋納されていたと考えられています。築造年代は6世紀末期。一説には押坂彦人大兄皇子の成相墓であるといわれています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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條ウル神古墳
じょううるかみ:奈良県御所市 |
山口古墳
やまぐち:奈良県香芝市 直径10mの円墳です。玄室のみが公園の片隅に残されていました。奥壁は一枚石ですし、玄門には仕切り石があります。 |
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今泉古墳
いまいずみ:奈良県香芝市 直径15m、高さ3mの円墳です。埋葬施設は両袖型横穴式石室で全長6.15m。 竹藪と自然林の境目にもっこりとした墳丘がありました。人里離れた山の中にあるので、凄く不安になりましたが、二上山博物館で入手した遺跡地図通りの位置に存在していました。ゲンチャで行ったのが正解、車で行くにはかなり勇気がいるし、また徒歩で行くには遠いし、良くたどり着けたと思う様な場所にありました。 |
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乾城古墳
かんじょう:奈良県高市郡高取町与楽 貝吹山から南に延びる尾根上に位置する直径約20mの円墳です埋葬主体部は両袖型横穴式石室で、現存全長7m、玄室長5.7m・幅3.6m・現存高約5m、羨道は現存長2.9m・幅1.6mの規模。石室は花崗岩の大型の自然石を用い、奥壁は四段、両側壁は五段積みで構築され、共に三段目から持ち送りが急になっています。玄室の前壁は二石の袖石を立てて羨道を設け、その上に三石を強く持ち送りながら積んでいます。築造年代は6世紀末期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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与楽鑵子塚古墳 ようらくかんすづか:奈良県高市郡高取町与楽 貝吹山から南に派生する尾根から延びた小さな尾根の端部に造営された直径約24m・高さ約7mの円墳で、墳丘北側には尾根筋を切り取ったような幅約6mほどの掘割状の地形が認められます。埋葬施設は南に開口する片袖型横穴式石室で、玄室は長さ4.15m・幅3.15m・高さ4.5m以上、羨道部は長さ2m以上・幅1.4m、高さ1m以上の規模。石室は側壁部分が花崗岩の自然石、奥壁は主に割石で構築されています。羨道部の高さが低い上に土砂の流入が激しく、開口部はほとんど埋まった状態です。築造年代は6世紀後期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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真弓鑵子塚古墳 まゆみかんすづか:奈良県高市郡明日香村 直径23m程の円墳です。埋葬施設は全長約13mの片袖型横穴式石室で、玄室は長さ6.32m・幅4.23m・高さ4.8mの規模です。石室は奥壁側に羨道風の奥室がつけられ全体に凸型になっていて他に例を見ません。この羨道風の突出部には内側から積み上げた閉塞用の石垣が認められます。石室は中型の花崗岩を三段に積み上げ、その上にやや小型の石を突起状に四段に積んでいる。6世紀中期の築造と見られています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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岩屋山古墳
いわややま:奈良県高市郡明日香村 一辺55m、高さ12mの二段築成の方墳(八角形墳の可能性も考えられている)で、墳丘は版築工法で造られています。埋葬施設は南に開口する、花崗岩の切石の精美な両袖型横穴式石室で、石室全長6.7m、玄室は長さ4.7m・幅2.5m・高さ3m、羨道部は羨門部側で幅2.3m・高さ2.18m、玄門部側が幅1.95m・高さ1.75mで、遠近効果を利用して羨道の長さが増して見えるような工夫がされているといわれています。この岩屋山古墳の石室構造は、江戸時代の古図に書かれた聖徳太子の墓(大阪府南河内郡太子町・叡福寺北古墳)の構造と類似しているといわれ、長大な羨道を持つ石室の最終段階のものといわれているます。築造年代は7世紀中葉、西暦630年から660年くらいの時期に位置づけられています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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小谷古墳
こたに:奈良県橿原市 直径30m・高さ8mの円墳です。埋葬施設は切石で構築された両袖型横穴式石室で、全長11.4m、玄室は長さ5.1m・幅2.8m・高さ2.7m、羨道部は長さ6.4m・幅2.0m・高さ1.8mの規模。玄室は全て二段積みで細長い石を横積みにしており、上段の石がやや内傾しているため、石室の内側断面形は六角形となっています。また天井石は二枚の巨石で作られており、石材の間に漆喰が詰められています。羨道部は方形に近い石材を縦積みにしていて、羨道部先端は斜めに傾斜した石を置いて端止めにしています。玄室内には竜山石凝灰岩製の家形石棺が安置されていて、石棺の大きさは長さ2.4m・幅1.84mで棺蓋には縄掛突起は見られません。棺の内面が、少し古式の石棺に見られる角のあるコの字形でなく、ゆるやかな蒲鉾形のカーブを示しています。築造年代は6世紀末期。 近鉄・岡寺駅から徒歩30分程度、新興住宅地の外れの畑の中にあります。柵はありますが内部見学は可能です。 |
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沼山古墳
ぬまやま:奈良県橿原市 直径18m・高さ5.5mの円墳です。埋葬施設は南南西に開口する片袖型横穴式石室で全長9.5m、玄室は長さ5.0m・幅3m・高さ4.3m、羨道は長さ4.5m・高さ1.8mで、玄室は床面積の割合に背の高いことが特徴です。石室は不整形な石材を横長にして積み上げていて、奥壁の最下段にある二個の石材だけは整った方形をしていて、そこだけは古墳時代後期にみられる巨石を利用した石室の名残を留めています。出土した副葬品の特徴から、被葬者は渡来氏族と深い関連の人物(達)と推測されています。築造年代は6世紀中期〜後期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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打上古墳
うちあげ:奈良県高市郡明日香村 |
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市尾宮塚古墳
いちおみやづか:奈良県高市郡高取町 市尾墓山古墳の西南200m、独立丘陵上に立地する前方部正面が東向きの前方後円墳です。全長44m、後円部の径23m・高さ7m、前方部の幅24m・ 高さ4.5mで、市尾墓山古墳の墳丘の二段目とほぼ等しい規模です。埋葬施設は後円部の中央に北方向に開口した全長11.6mの両袖型横穴式石室で、玄室は長さ6.2m・幅2.5m・高さ3m、羨道は長さ5.4m・幅1.5m・高さ1.8mの規模。石室の構築は、側面では中型の四角い石材を持ち送って奥壁側から積み上げ天井は平らな巨大な石材を置いています。床面の形態は細長い長方形で壁面に沿ってY字型の排水溝が設置され玄室上面には小礫を敷いています。また石室壁面に赤色顔料が塗られています。玄室中央には長軸を羨道の軸と合わせて二上山白色凝灰岩製の刳抜式家型石棺が安置されています。石棺の身は外法の長さ1.9m・幅1.2m・高さ0.65mで、蓋石の長辺には各2個の縄掛突起があり、四角張っていることから市尾墓山古墳のものよりすすんだ形式といわれています。石棺外面には鮮やかな赤色顔料が塗られ、またノミの痕跡も残っています。石棺の前面からは木棺に使われたと考えられる鉄釘を検出されています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
権現堂古墳
ごんげんどう:奈良県御所市樋野字権現堂 樋野集落の北、高取山からのびた尾根の端部にある天安河神社境内に所在する直径20mほどの円墳と思われていますが、墳丘はすでに原形を留めないほどに荒れていて、現状で4mほどの高さが残存しています。埋葬施設は南南東に開口する片袖型横穴式石室で、現存の石室は長さ約5.5m・幅2.5m・高さ2.3m、玄室はかなり持ち送りが強い構造となっています。羨道部分は長さ3.3m以上、幅は約l.6mと推定されますが、土砂で埋まっており詳細は不明であす。玄室には二基の凝灰岩の刳抜式家形石棺があったようですが、一基は完全に破壊され、墳丘の周辺にその石材が散在しています。残存する石棺はは二上山白色凝灰岩製であり、初現期の家型石棺の一類型として知られています。また棺身には石枕が造り付けられているという特徴があります。家型石棺の他にも緑泥片岩の箱形石棺材と思われる石材の細片も検出され、合計で三基の石棺が存在していたと推定されています。築造年代は6世紀前期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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水泥塚穴古墳
みどろつかあな:奈良県御所市古瀬字水泥 直径約20mの円墳です。埋葬施設は全長13.4m、玄室は長さ5.6m・幅3m・高さ3.3m、羨道は長さ7.8m・幅2m・高さ1.9mの規模で、巨石を用いた大型の横穴式石室です。玄室の奥壁と前壁が垂直に近い特徴を持ち、同様の石室構造のものには奈良県桜井市の茅原狐塚古墳や越塚古墳が知られています。石室からは瓦質の円筒形配水管が用いられていたと思われ注目されています。築造年代は7世紀初期から前期と思われています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
新宮山古墳
しんぐうざん:奈良県御所市稲宿 直径25mの円墳です。墳丘南斜面で円筒埴輪片が採取されているが古墳との関連は不明です。埋葬施設は南東に開口する両袖型横穴式石室で、全長13.6m、玄室は長さ6.3m・幅2.5m・高さ3m、羨道は長さ7.3m・幅1.7mの規模。玄室には竜山石凝灰岩製の刳抜式家形石棺と、吉野川流域で産出する緑泥片岩の組合式石棺の蓋石と両側石が安置されています。このうち家形石棺は、長さ2.3m・幅1.1mで蓋石には前後各一、側面に二対の方形の縄掛突起を有します。また棺内にはノミ痕が残り全面に朱が塗布されています。組合式石棺の板石は、長さ2m前後・幅約1mの大きさです。築造年代は6世紀中期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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南阿田大塚古墳
みなみあだおおつか:奈良県五條市南阿田 吉野川の中流域では唯一の横穴式石室を持つ前方後円墳として有名です。墳丘は吉野川を見下ろす丘陵の中腹にあり、南西に前方部を向けた全長30mの前方後円墳で、後円部は直径21m・高さ7.5m、前方部幅15m、高さ5.5mの規模を持ちます。埋葬施設は、後円部に墳丘に直交して設けられた横穴式石室で全長9.2m、玄室長4.5m、幅3m、高さ2.4mの規模を有し、四壁の持送りは急で天井幅は1.2mと狭くなっています。玄室は羨道より一段低く、また玄門に基底石をすえて、その上に石積みを行うなど5世紀前半の古式の様相が見られるとのことです。石材は緑泥片岩を小口積みにしたもので、壁面などには河原石も使われていました。羨道は長さ4.7m、玄門部の幅0.7m、羨門部の幅2.7mで「只」の字形に開いています。玄門部は三段に敷居状の基底石をおいで、玄室床面より高くつくっている。築造は石室の構造や出土した須恵器の特徴から6世紀前期と推測されています。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) 南阿田の集落の中程、バス停近くに古墳への登り口を示す道標があります、その後のフォローはありませんが、とりあえず登ってゆくと。墳丘が見えてきます。石室は発掘調査の後修復されていますので状態も良好で見学も容易でした。 |
岡峰古墳
おかみね:奈良県吉野郡下市町 吉野川の右岸段丘上の縁辺、標高160m前後の尾根先端に築造された直径18m・高さ4.5mの円墳です。墳丘には緑泥片岩の割石を主体とした葺石が鉢巻き状に存在し、裾には石積みもみられます。埋葬施設はほぼ西に開口する横穴式石室で、緑泥片岩の割石を小口積みに構築しています。石室規模は全長6.05m、玄室の長さ2.9m・幅1.9m、高さ2.2m・前道の長さ0.8m、羨道の長さ2.3m・幅1.08mである。玄室と羨道の間には玄室前道を有し、前道は長さ約80cm分、両側壁からともに約19cm狭く構築され、天井石も羨道部から120cm低く造られています。また床面は長方形の石材が置かれ、羨道底面から約26cm高くなっています。また、前道と羨道の境には一枚の板石を立て、扉石として閉塞装置にしている。玄室の奥壁には石棚が付設されており、床面から1.4mの高さに、厚さ約25cm・奥行85cmの緑泥片岩の板石を、奥壁と左右側壁の三方にくい込ませ設置されています。石棚の下には奥壁に沿って緑泥片岩の板石を組み合わせた箱式石棺が置かれています。棺の内法は長さ165cm・幅64cm・深さ50cmで、四壁は各壁とも一枚を立て、蓋石二枚で覆われています。手前のスペースから釘が出土しており、木棺がおかれていたと推定されています。築造年代は出土遺物から6世紀中期。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) この古墳は今回で2回目の訪問になりますが、最初の時は石室内部の見学はできませんでした。でも今回は地元下市町教育委員会の方のご厚意により石室内部の見学が実現、心から御礼申し上げます。普段は見学できない貴重な石室に入ることができ感激しました。 |
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赤坂天王山古墳群
1号墳 あかさかてんのうざん:奈良県桜井市 鳥見山の東南端の栗原川に向かって東南からのびる丘陵尾根の先端に位置しています。1号墳は一辺45m、高さ9mの三段築成の方墳です。埋葬施設は三段築成の下段の基壇上に構築された、南に開口する、全長12mの両袖型横穴式石室です。玄室は長さ |