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乙塚古墳
おとづか: 土岐盆地における最大の横穴式石室をもつ円墳で、墳丘は直径27m・高さ6.6m。埋葬施設は南に開口する巨石を用いた両袖型横穴式右室で、全長12.1m、玄室は長さ5.2m・幅2.6m・高さ2.7m・奥壁幅2m、羨道は長さ6.4m・幅2.4m・高さ2.6m。玄室との境界には幅50cmの柱石を立て、その上に梁をのせている (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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段尻巻古墳
だんじりまき: 土岐盆地の北側縁辺にあたり、隆起準平原の緩やかな傾斜面が開析された、南東方向にのびる尾根上の先端部近くに立地。標高は152mで南東隣にある乙塚よりやや高い。本来は円墳であったが現在は、東西径17.6m・南北径15mの不正円で高さは3.6mある。埋葬施設は南に開口する両袖型横穴式石室で、玄室は長さ3.4m・最大幅1.5m・高さ1.8m、羨道部は長さ2.9m・幅1.0m・高さ1.6m。奥壁は高さ1.5m程度の一枚岩で天井石との隙間には径30cmぐらいの円礫が充填してある。側壁は左右とも奥が三段、入口寄りが四段の石積みで、奥に向ってかすかに傾斜している。羨道部との境には約30cmほど石が突出している。左右とも二段積みで、扁平な円礫や亜角礫が使用されている。羨道部の側壁は3段積みを基本としているb奥壁と天井石(玄室3枚,羨道部2枚)と境界の梁は丁寧に面取りされているが,側壁の石はあまり整っていない。石材は花崗岩の太きな扁乎礫を適宜利用し、チャートの円礫や亜角礫も使用している。花崗岩は2種類以上の顔つきの異なるものがあり、供給地は複数あったと考えられる。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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炭焼古墳
すみやき:岐阜県土岐市定林寺炭焼 |
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熊野神社古墳
くまのじんじゃ:岐阜県土岐市津町沓掛 |
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大富西山1号墳
おおとみにしやま:岐阜県土岐市泉町大富西山 |
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大島1号墳
おおしま:岐阜県瑞浪市 |
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久後古墳
くご:岐阜県恵那市 |
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徳平古墳
とくひら:岐阜県恵那市 |
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次郎衛塚古墳
じろべえづか:岐章県 木曽川と飛騨川が合流する左岸沿いの低位段丘上に位置し、標高は82〜85mで平坦な地形である。この地区には計32基から構成される川合古墳群があり、本墳はその一つである。 二段築成で下段は一辺29.5m前後・高さ約1m、上段は一辺17.65m・高さ約5.5mで、上段を高く誇張した外観である。ほぼ正方形を呈し、周濠を伴った県下最大級の方墳である。埋葬施設は、木曽川中流域に多くみられる河原石積みの横穴式石室が3基あり、いずれも南側に開口している。墳丘の中央には、全長15.5mの岐阜県内最大級の主室があり、その両脇には後に増築された全長7.4mの西副室と全長1.7mの東副室が並ぶ。主室の玄室は複室構造である。その後室では、ベンガラと恩われる赤色顔料が塗られた石棺の一部である凝灰質砂岩が出土し、東副室には小児用の木棺が置かれていたと考えられる。副葬品は主室には玉類38・耳環2・鉄器類・須恵器多数が出土し、2回以上の追葬が想定される。西副室からは須恵器・玉類・歯片1、東副室では鉄器・須恵器がみられる。出土遺物より7世紀初頭の築造後,追葬が行われたと推定される。本墳は前方後円墳が消滅した後に方墳へと連なった、可児地域における首長墳である。 (続日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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熊野古墳
くまの: 可児川と久々利川に挟まれた東西に延びる丘陵の西端部に位置する。封土は流出し正確な規模は不明だが直径20m・高さ4m程度の円墳と推定されている。埋葬施設は両袖型横穴式石室で、玄室は長さ4m・幅1.4m、羨道は長さ4.3m・幅1.4mの規模を有す。石室は割石で構築され、玄室の天井石は長さ4.35m・幅2.75m・高さ0.5mの巨石が用いられている。 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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不孝寺塚古墳
ふこうじづか: 舌状に張り出した丘陵の先端に位置する。墳丘は原型を留めず正確な規模は不明だが、直径16.7m・高さ4m程度の円墳と推定される。埋葬施設は自然石を用いた横穴式石室で玄室は長さ3.6m・幅2.6mあったと言われている。羨道は奧側の側壁2枚のみが残り、天井石は1枚残るのみである。玄室と羨道の境には高さ1.7m・幅0.6mの石材が立てられていて右袖幅0.55mを測り、おそらく両袖の形態を示す物と考えられている。 玄室内には全長約2.5m・幅1.25m凝灰岩の家型石棺が現存している。棺身は1枚・棺蓋は2枚の石材からなり、棺身の内部は幅0.46m・深さ0.35m、棺蓋は屋根の傾斜が急で三対の縄掛け突起があったといわれている。 出土遺物としては人骨、金環2・銀環1・直刀・須恵器が知られているが現在は不明となっている。築造年代は6世紀代 (日本古墳大辞典:東京堂出版) |
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岩崎1号墳
いわさき: 眉山の南麓に分布する岩崎古墳群中の一基。かつては7基の古墳があったが1号墳6基は既に消滅している。1号墳は群中最大規模の古墳で、直径20m・高さ4mの円墳。埋葬施設は南に開口する全長9.2mの両袖型横穴式石室で、玄室は長さ3.3m・最大幅2.15m、羨道は長さ5.1m・幅1.9mの規模。玄門にはマグサ石が見られ、玄門の立石間は羨道幅よりも狭く、羨道側壁面から飛び出して見える。 |
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石谷1号墳
いしたに: 石谷1号墳、伊自良川9基の円墳が確認されている。1号墳は直径20m・高さ2.6mの円墳。埋葬施設は全長11.5mの両袖型横穴式石室で、玄室は長さ5.7m・最大幅2.28m、羨道は長さ5.3m・幅1.5mの規模。玄室は胴張りの平面プランで、側壁は持ち送りが見られる。奥壁は一枚石、天井石は三枚の石材が用いられている。羨道は三枚の天井石が残存し、マグサ石がある。築造年代は7世紀代 (古墳説明版) |
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西山4号墳
にしやま: 百々ヶ峰の南麓に立地する直径16mの円墳、墳丘頂部が削られているため高さは不明。墳丘の南半分は二段に、北側後背部は一段築成で築かれた山寄せの円墳である。墳丘表面には貼石が貼られている。埋葬施設は南に開口する全長11.3mの両袖型横穴式石室で、石室入口は墳丘基底面から6.4mの高さにある。玄室は長さ5.4m・最大幅2.3m、残存した奥壁から推測する高さは2.6mである。羨道は長さ5.2m・幅1.7mの規模。羨道の床面が玄室の床面から三段階の傾斜で低くなる特徴を持っている。築造年代は7世紀代 |
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智照院古墳
ちしょういん: 直径15m・高さ2m程の円墳。埋葬施設は南に開口する全長7.9mの片袖型横穴式石室で、奥壁幅1.3m、高さは2.1mである。。築造年代は7世紀中期。 |
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日野1号墳
ひのいちごう: |
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御林古墳
ごりん:岐阜県岐阜市 |
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手力雄神社古墳
東墳
西墳 岐阜県岐阜市 |
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船山北古墳群
3号墳 2号墳 ふなやまきた:岐阜県岐阜市 |
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大牧1号墳
おおまき:岐阜県岐阜市 |
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天狗谷2号墳
てんぐたに:岐阜県岐阜市 |
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二の宮神社古墳
にのみやじんじゃ:岐阜県岐阜市 |
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森古墳
もり:岐阜県山県市 高富字森地区内南方の山麓、廣厳寺墓地の入り口にあり、通称ツカアナと呼ばれている。横穴式石室を構えた円墳で、東南に向けて開口している。羨道と玄室に分かれ、玄室は奥行き4.40m、幅は最も広いところで1.80m、最も狭いところで1.50m、高さは玄室入り口附近で2.10m、最奥部附近で1.70mあり、羨道は奥行き4m、幅約1.60m、高さは玄室との境目附近で1.50mある。天井石は大きく、側壁はチャートを積み上げているが、奥壁は大きな一枚石である。 |
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唐鋤古墳
からすき:岐阜県山県市 西深瀬字唐鋤地内の通称戸羽山の山麓にある。横穴式石室で南南東に向けて開口し斜面に南面した入り口があり、羨道と玄室に明瞭に分かれている。羨道は奥行き2.70m、幅約1.20〜1.45m、高さは玄室との境目附近で1m。玄室は奥行き4.65m、幅は2.45m、高さ2.40〜2.45mである。当地域では最大級の古墳で、石組みはチャートをきちんと積み上げているが、羨道と玄室との境目附近で崩れかけており、封土の上部で二か所ほど穴が開いている。 |
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南大塚古墳
みなみおおつか:岐阜県不破郡垂井町 |
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成願寺西墳之越古墳群
1号墳
43号墳 じょうがんじにしつかのこし:岐阜県揖斐郡池田町 |
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岩屋古墳
いわや:岐阜県高山市 |
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小丸山古墳
こまるやま:岐阜県高山市 |
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広瀬古墳
ひろせ:岐阜県吉城郡国府町 |
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こう峠口古墳
こうとうげぐち:岐阜県吉城郡国府町 |
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